<JMC会員間の技術交流を願って>
㈱ミツワエンジニアリング 難波健一
昭和46年(1971年)に某エンジニアリング会社の新入社員になってから早いもので43年余り
が経ち現在65歳、今も現役で技術屋をやっています。
エンジニアリング会社に居る時代は、原子力発電所の純国産化を目指し、アメリカに追いつけ
追い越せの前途洋洋の時代であった。
私は、燃料取扱装置や制御棒取扱装置等の装置設計に携わり、設計屋として非常に有意義
な社会人生活を送っていたが、惜しまれながら(?)、いやみを聞きながら丁度3年間で退社し
ました。
父の強い要望で、父の経営する鉄工所に入社したのですが何と1週間後に倒産してしまいま
した。
第2次オイルショックといわれた時で、父は会社再生の為に、そして貴重な経験をさせる為に
私を巻き込んだのでした。
お陰で私の職歴は一気に多様化して行くことになり、中でも印象に強く残っているのが「船舶
沖修理」という仕事です。欧米の大型コンテナー船や大型貨物船が対象で、神戸に入港のだ
いたい3~1日前に無線により代理店経由で修理オーダーの連絡があり、材料機材、道具そし
て職人を段取りして船の着岸を待ち荷役作業の間に修理を完了させるまさに待ったなしの突
貫作業です。
因みに沖修理と呼ぶのは、昔は岸壁でなく沖で停泊中に修理をするのが常道であったので、
沖修理で通っていました。私も何度かまさに沖に停泊中の船に通船に揺られて修理に通った
記憶があります。
船舶修理には鉄工、機械、配管、電気、内装、断熱など色々な業種が要求され、その貴重な
経験が今でも技術の財産となっています。
それから、建築関係の仕事をしていた頃は、鉄骨製作工事のための工場資格認定制度が
流行していました。溶接部強度が母材と同等の強度があると認定される為には溶接技術者の
ISO/WESの1級以上の資格が必要であった為、その頃に経験勉強した知識が現在の専用
溶接ロボットのエンドエフェクタ等の設計に生かされていると思います。
サラリーマンを辞めて10年が経った頃、機械、船舶、建築などと何でも屋になってしまい、
何が得意かと聞かれると、特に何も無い人間になりそうだと気付いたように思います。
やはり自分の一番好きな機械技術で設計製作をする会社を設立したい、世の中で役立つ
自社製品を生み出したい、そんな思いで㈱ミツワエンジニアリングを設立しました。
わが社は今年で31年目を迎え、これまで数多くの製品を作ってきました。
先日30年の節目として、製品写真入の「自社で設計した主な製品」を工事経歴の資料として
まとめました。もし御興味のある方はnamba(アットマーク)mitsuwa-eng.co.jpまで資料を
送れとメールを頂いたら返信で送らせて頂きます。
今回、会員相互間の技術交流を推進したいと願って投稿しました。もし私に、技術的な問い合
わせがあれば出来る限りの御回答や必要な場合は技術資料の提供をさせて頂きます。
最後に技術屋としての夢は、高齢者社会に向けて、使ってもらえる、売れる介護機器、軽労化
機器の開発商品化を実現させることです。
昨年から介護機器の開発に注力しています。現在は試作1号機で検証試験を行い、2号機に
向けて改良設計中のところです。
来年度には商品化の目途をつけ、「JMCのつぶやき」に投稿できればと考えています。